見えないバリアを無くす~なぜ、ユニカレを作ったか その3

障がいがある人の就職を全力サポートする障がい者ビジネススクール「ユニカレさが」の代表、大野のブログです。不定期にアップしていきます。

今日はユニカレ誕生秘話についてブログを書きます。3回シリーズの最終回です。

前回、障害者のためのビジネススクールは佐賀では成り立たないと、障害者支援をしている先輩方から指摘され、本当にそうか?と疑問に思った、というところまで、お話いたしました。

障がい者が就職するための訓練する福祉事業が「就労移行支援」というサービスです。障がい者ビジネススクールもこのサービスになるのですが、すでに佐賀で提供されている就労移行支援サービスは作業系のものが大半でした。つまり、作業系の仕事、工場でのピッキングや製造業、サービス業のトレーニングが中心だったのです。

前回お話ししましたように、障害者の一番のボリュームゾーンは精神障害者で、知的レベルでは健常者と変わらない方々なのです。彼らが就職したいと思うのは事務系のお仕事となります。したがって、作業のトレーニングはしたくないのです。中には過去に事務系の仕事に就労していて、うつなどの精神障害の発症で辞職した方や、発達障害などによる対人関係の不具合で辞職した方などは、事務系の仕事に復帰するため訓練がしたいのです。ところ、そのようなサービスがない。なので、彼らは仕方なく家に引きこもるしかないのでした。このような方のニーズに佐賀は応えきれていなかったのでした。

障がい者ビジネススクールは成り立たないとおっしゃった方々は、おそらく、これらの人を見落としていたのだと思います。しかし、それは仕方ないことだとも思います。なぜなら、佐賀での先駆者である諸先輩方が支援していたのは重度の障がい者や、知的障害がある方、つまり支援がなければ生活していくことが著しく困難な方々を対象にサービスを提供していますので、大変な挑戦をされている方々に他の障害の方のことを考えろというのも無理なお話ですし、何より重度の障害をお持ちの方々よりも軽度で日常生活に近いところにいる障害がある方には普段会うこともなかったでしょうからです。

重度の方々に比べれば軽いのかもしれませんが、軽度の精神障害がある当事者は当事者なりに苦しんでいる人がたくさんいました。「重度の人に比べれば障害が軽い私が、社会に出られずにいるのは申し訳ない」「働きたいのに働けない、見た感じは普通だから、怠けているようにしか言われない」「今までうまくいかなかった、どうすれば、就職できるのか全く分からない」など、私がお会いした方々の悩みや苦しみは、当事者にとっては深刻なものが確かに存在していました。

障がい者のためのビジネススクール。成功事例がある、ノウハウもある、佐賀のニーズも確認した、でも誰もやる人がいない、さぁどうする?とりあえず、自分がしなくちゃだめよね、というわけで、勢いでユニカレを作りました。2014年のことです。

でも、ただ勢いだけで作っても、障がい者の皆さんには信用されないだろうし、失礼な話です。ですので、社会的存在意義、つまりミッションをしっかりと柱として打ち立てなければならないと思いました。そこでたどり着いたのは「この社会から障害という言葉を無くす」ということでした。最初にそれを言ったときに、多くの方が「そりゃ無理でしょう」という顔をされました。でも私たちは可能だと信じてサービスを今日も提供しています。

私が尊敬してやまない国際協力の世界では有名人のムハマド・ユヌスさんという方がいます。バングラデシュの経済学者で2006年のノーベル平和賞受賞者ですが、彼の有名な言葉に「貧困が無い世界を創れると強く信じている」というのがあります。この後に「貧困の無い世界で唯一貧困を見られることができる場所は博物館の中だけだ。」と、言う言葉です。貧困というものを、過去の記憶を残すことが目的である博物館の展示物にしよう、と彼はいうのです。いや、かっこいいではないですか。なので、私は貧困を障害に変えてみました。

私たちも大先輩の足跡を追いかけるように障害という言葉を博物館に展示しましょう。ただ、ユヌスさんの言葉には前提があって「世界中の人が信じることで」という一文もあります。多くの人にそうなることを信じてもらえるような行動と実績が同じように求められているということも忘れてはいけないようです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

障がいがある人のための就職応援事業所

障がい者ビジネススクールユニカレさがの詳細、最近の活動はホームページ

http://unicolsaga.or.jp

を、ご覧くださいね。

見えないバリアを無くす~なぜ、ユニカレを作ったか その2

障がいがある人の就職を全力サポートする障がい者ビジネススクール「ユニカレさが」の代表である大野のブログです。不定期にアップしていきます。

今日はユニカレ誕生秘話についてブログを書きます。3回シリーズの第2回目です。

さて、障害者が就職するために学習する施設、熊本の障がい者ビジネススクールをみて、その意義と必要性を感じた私は佐賀にそのニーズがあるのかと考えました。そこで、私の知己である、当時小学校PTAの本部役員を一緒にしていたNさんに佐賀にも障がい者のビジネススクールってあった方がいいか尋ねてみました。Nさんの娘さんは軽度の知的障害があり普通小学校では特別支援クラスに通っていました。Nさんも他の障がいがある子どもを持つ親の多くがそうであるのと同じように子供さんが学校の世話になっているので恩返しをとPTAの役員をしていたという筋の通った人です。

そりゃ、大野さん、是非欲しかですよ。障がい者ビジネススクールがどんなものか説明したのちに尋ねた上記の質問への答えは間髪入れずにその言葉でした。「大野さん、今、障害がある子は行政サービスとして特別支援学校の高等部までは保証されているのですよ。でも、特別支援学校の目的は就職させることで、ゴールはそこなんです。で、もし、就職に結びつかなかったら、福祉的就労となってしまうのですが、それ以外は娘の進路は、今の時点ではナシということで、18歳以降の娘のことを考えたら夫婦でどっぷり暗くなってしまうのです。でも、障害者のビジネススクールが、それから先の可能性を夢見る場所として存在するならば、私たちにとっても安心ですし。ぜひ作ってほしいですね。

その言葉を聞きながら、熊本にあって、佐賀にないのは嫌だと私は思いました。佐賀にも佐賀には「それいゆ」があるからと言って他県から移住してきた発達障害児を持つ人、佐賀にはスチューデントサポートフェイスがあるからといって、ひきこもりの子どもを持つ親が佐賀に移譲してきたりということがあるように、佐賀にないからあるところに移住するという人が出てもおかしくありません。佐賀に住むものとして、そういうのってなんだか嫌なんです。

私はそのころは国際協力NGOの事務局長をしていて、国内の障害者の支援事業をするなどとは考えていませんでした。そこで、古くからの佐賀で障害福祉をやっている人に障がい者ビジネススクールを佐賀でやらないか紹介して回りました。熊本でこんな成功事例がある、ノウハウもある、佐賀のニーズもあることが分かっている、となれば、誰もが飛びつくと思っていました。ところが、国内の障害者福祉のことを私は知らない過ぎたのでしょう、多くの方が「大野さん、それは面白いけど、佐賀では成り立たないよ」と簡単に断わりました。

確かにお断りする理由は至極もっともなものでした。「障がい者で就職したくて、できる人はもうすでに就職しているよ」「熊本は政令指定都市、人口がいるから成り立っていて、佐賀みたいな中途半端な都市では無理だよ」「障がい者はみんな現状維持を考えていて新しいことにチャレンジするような人はあんまりいないよ」・・・いやぁ、ごもっともです。専門で障害福祉の仕事を長くされている諸先輩方は現場に一番近いところにいるから、リアルな反応が手に取るようにわかるのです。そうか、佐賀では成立しないのか・・・

でも、本当にそうかな?と考えてみました。そもそも、佐賀にどんな種類の障害の人が何人いるのだろう。彼らに対してサービスは十分にいきわたっているのだろうか、そもそもそのサービスはニーズに合致した内容なのだろうか。私は統計的な数値で調べてみました。そうすると、諸先輩方のご意見は見落としている点があるのでは無いかと思わずにいられませんでした。

現在、障害者手帳は大きく分けて三種類ありまして、「身体障害者手帳」(身体障害があったりや難病の方)、「精神障害者保健福祉手帳」(ウツとかてんかんとかの精神障害がある人)、「療育手帳」(知的障害がある人)の3つに分けられますが、この手帳を持つ人が厚労省の数字では国民の約6%となります。これ以外に、手帳を持つに至らない高機能の発達障害、心療内科などにかかりウツなどの気分障害や適応障害などと診断されている人、虐待などで愛着障害が出ている人、対人恐怖症などでひきこもりになっている人などの手帳を持たない障害のある人を単純に足していくと日本の人口の15%になります。これらの中で就職したい、社会復帰をしたいという数値は80%を超えるというアンケート結果が出ています。(このアンケートではサンプル数があまり多くないのと、対外的に働きたいと答えておこうという人がいるだろうから高くなっているという注釈がついていました) ただ、単純に佐賀市を25万人としたら、その15%の80%、3万人の人が対象になるということになります。地元に3万人ですよ!就職したくてできる人はみんな就職しているでしょうが、就職したくてできない人もそれ以上にたくさんいるのではないかということが考えられます。

それ以外にちょっと待てよということがありました。それだけいるであろう潜在的ニーズに満足できるサービスが提供されているのだろうか?私はなおも調べてみようと思いました。

~その3に続きます。~

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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見えないバリアを無くす~なぜ、ユニカレを作ったか その1

障がいがある人の就職を全力サポートする障がい者ビジネススクール「ユニカレさが」の代表である大野のブログです。不定期にアップしていきます。

今日はユニカレ誕生秘話についてブログを書きます。3回シリーズになる予定です。

世界中には、この日本の、私たちが生活する地域の中でも、社会的弱者と言われる人はいます。社会的弱者とは社会の一員ながら、一般的な多くの人に比べて、著しく不利な状態にいる人を言います。世界で言えば貧困や災害、紛争の現場にいる人、制度の中で抑圧されている人なんかを思いつくことでしょう。日本でも経済格差による相対的貧困層や、障害者、高齢者、シングルマザー、認知症患者、難病、ジェンダー(性差)、交通弱者、、外国にルーツを送人々、様々なマイノリティなど、厳しい環境の中で生活する人がいます。

社会的弱者と言われる方々は上記の「様々な要因が見えないバリアとなって社会とのアクセスができなくなっている状態の人」だと私は定義付けています。例えば、私たちが支援する東南アジアの貧困の村の人々は、貧困という見えないバリアによって、教育、衛生的な水、医療、適正な農業技術などにアクセスできなかったり、機会や選択が著しく狭まれていたりしています。また、同様に日本においても「障害」という見えないバリアによって大多数の構成する社会にアクセスできない人もいます。これらの方々を社会的な弱者といいます。

弱者の定義は難しいのですが、仮にここでは「自らの責任からではない条件で不利な状態にあり、生活に支障をきたしている人」とします。(これについては別稿で詳しくお伝えする機会を持ちたいと思います。)これらの人を目の前にした時、不利な状態でない私たちはどうすればいいのでしょうか?生活に困っている人に、できることなら、何か応援したい、困ったときはお互い様と思うものではないでしょうか。

熊本に藤井さんという古くからの知り合いがいます。彼が2013年ころ「障がい者のためのビジネススクールって作ったけど見に来ない?」と連絡がありました。当初は別段「へぇ、面白そうだな」ぐらいで、当時私は国際協力NGOの事務局長兼専務理事だったため障がい者のことはそれほど深く考えたことがありませんでした。

ところが、遊びに行ったときに障がい者ビジネススクールの受講生の母親にお話を伺ったことで考え方が変わりました。私が彼女に「障がい者ビジネススクールはどうですか」と質問しました。「これは私たちの希望です」と彼女はきっぱりと答えました。「私の息子は高機能自閉症で特別支援学校を卒業して就職しましたが、途中で行けなくなってしまいました。辞めてしまってから、彼が行きたいところはありませんでした。そのまま、家の中で引きこもるしかなかったのです。でも、このビジネススクールがあったので、行くところがありました。息子はもう一度、社会に出るチャンスをもらいました。ゼロと1は全然違います。絶望と希望の差です」概ねこのような内容のことをおっしゃいました。

「障害」のために社会とのアクセスがうまくいかなくなってしまう人がいて、その人のための次なる希望として障がい者のためのビジネススクールがある。これは健常者で大学に落ちた人のための予備校のようなものではないのではだろうか。健常者と呼ばれている人には再チャレンジの機会があるのに、障害がある人にはそれがない。これって、人権問題なんじゃないのだろうか、と私は思いました。途上国で貧困のために教育機会を持たない人々と同じじゃないか。そう思ったのでした。

~その2に続きます。~

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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このブログについて

「障がい者ビジネススクール ユニカレさが」の 代表をしています大野博之です。このブログは、発達障害、精神障害、知的障害、身体障害、難病などの障害がある人の就労をメインに、障害そのものや障害福祉について発信していきたいと思っています。「貧困」や「ルーツを外国に置く人」などの社会的に不利な状況にある方々についても言及します。

私は「障害者」も「貧困」も『見えないバリアに』よって、『ある基準』を軸に、社会の外側に起これた状態にいる人だと考えています。『状態』だから、それを変革することは可能だと考えています。なぜなら、これらは、私たちの社会が作り出したものだからです。私たちが作り出したのでしたら、私たちで変えることは可能なはずです。

私たちが作った『見えないバリア』を無くし、『ある基準』を無くしたとき、この二つの言葉が社会からなくなるのだと思います。貧困撲滅活動によってノーベル平和賞を取ったムハマド・ユヌスは社会から貧困をなくし、貧困を博物館に入れて過去のものにしてしまい、「貧困て何、何故人々は貧しかったの?」と問うような世界にしてしまいたい、と語りました。私は「障害者」という言葉も同じように博物館に入れたいと考えています。

障害者が社会の中でごく普通に生活していて、周りの人がそれに違和感を持たずに共に生きている状態、その時に「障害者」というくくりはなくなると思います。障害のある人、から、人と違った個性を持った〇〇さん、という個人の名前で社会を構成していったとき、その時が博物館入りした時なのでしょう。

その実現のためにこのブログを始めます。

今後の記事としては

発達障害を考える

脳科学から見た障害

障害者の就職と雇用

認知行動療法について

うつ・気分障害・パーソナリティ障害について

精神障害全般について

障害福祉について

子どもの貧困

途上国の貧困

外国人との共生

などをコンテンツとしていく予定です。